「俳優の肉体以外、映るものすべてを用意するのが映画美術の仕事。完成形を頭に描きながら、すべてゼロからデザインする」と話す部谷さん。「シコふんじゃった。」の準備にあたり、生まれて初めて国技館へ行き、大学相撲を見て、都内の合宿所を訪ねたそうです。見よう見まねで土俵を作り、まわしの汗ばんだ感触や、壁に掛けた名札に積もるほこりの量まで丁寧に再現した。「自分の鼻で感じた匂いも映像で感じてほしいんです」
「1本立ちしようと思ったのは、『自分ならこうやるのに』という気持ちが芽生えたとき」と自身の歩みを振り返ります。「スタジオにリアルサイズのセットを作る。初日に俳優さんを迎えたとき、セットではなく名前を持った空間へ変わる。それが面白い。映画ってライブ、撮影ってライブなんです」。映画美術はまさに天職。「見る人が違和感を感じてしまったら駄目。すんなり物語に入っていければ、その空間ができているということだと思う」
仕事に向かう姿勢は真剣そのもの。「現場では待たせることが一番迷惑をかける。こうしたいと思うことができていないことが嫌。3日、1週間、1カ月と徹夜をしても間に合わせる。寝る時間よりも、何かを作っていたい」ときっぱり。「いらないと言われても、ちょっとした勘で打ち合わせ以上に作り込んでおくと撮影現場で生きてくる。車でもハンドルに遊びがないと窮屈でしょう」。なごやかな語りの中にプロの厳しさと責任感が伝わりました。
自分が手掛けた映画は、必ず公開初日の1回目に観賞するそうです。「皆さんの反応を生で感じるようにしている。まるで子どもを旅立たせるような気持ち」だとか。「仕事以外の趣味もない。ほとんど家にいない。どこかに行っているか、人と会っている。廃虚や世界遺産が好きで、休みがあれば旅に出る」と話す部谷さんの原動力はまさに好奇心。「とどまりたくない。常に流れていたい。自分の生きたい場所へ行くことに迷いがないのです」
吉田喜重監督「鏡の女たち」の台本と出会い、美術の仕事を任されたことが古里との関係を結び直す転機となった。「ヒロシマを猛烈に知りたい。ここでできることをやりたい」と感じ、8月6日の平和公園で影絵作家の友人たちと始めた小さな祈りの場は5年目を迎えた。「映画を通してヒロシマと関わりたいと考え始めていた昨年12月、ダマー映画祭の話が舞い込んだ。私が最初にやったのは国際会議場が空いている日程を調べること。この3日間、皆さんと一緒に映画を見られて本当に楽しかった。ダマー映画祭は来年もやるよ」
